℃-ute、12周年を迎えて解散。最後までアイドルを貫き続けた5人。

℃-uteが、先日12日に行われたコンサート「℃-ute ラストコンサート in さいたまスーパーアリーナ 〜Thank you team ℃-ute〜」を最後に解散しました。

2017年6月に解散することを宣言してから1年弱、早かったような、短かったような、不思議な感覚がありますね。と言いつつも、個人的には早かったような気がします。

ハロー!プロジェクト・キッズとしてハロプロに加入した15年前

2002年6月、ハロプロの大変革を伴いつつあった時期に、℃-uteのメンバーはハロプロキッズとしてハロプロに加入。3万人近い応募者から選ばれた15人のうち、後に℃-uteとなるメンバーが梅田えりか矢島舞美村上愛鈴木愛理中島早貴岡井千聖萩原舞ちゃんの7人でした。15人の中から、先にBerryz工房がグループとして結成されることになり、Berryz工房に選抜されなかった℃-uteのメンバーは「非ベリキッズ」となどと呼ばれ、Berryz工房と区別されるような時期がありました。

℃-uteとしてグループ結成

2005年6月、上記の7人が℃-uteとしてグループを結成することが発表され、同年秋には初のオリジナル曲「わっきゃない(Z)」が披露されました。この曲は後にインディーズの4枚目シングルとして発売されましたが、実質デビュー曲の扱いに近い曲だったと思います。

2006年1月には、ハロプロエッグから有原栞菜ちゃんがメンバーに加入。8人体制となりました。同年5月、1stインディーズシングル「まっさらブルージーンズ」を発表し、CDデビューしました。

その後、インディーズで「即 抱きしめて」「大きな愛でもてなして」「わっきゃない(Z)」を立て続けにリリース。当時のハロプロでは、メジャーデビュー前にインディーズでシングルをリリースすることは珍しかったため、後のスマイレージ、Juice=Juiceやこぶしファクトリーつばきファクトリーの先がけのような存在になりました。秋にはアルバム「キューティークイーン VOL.1」を発売。メジャー1stシングル「桜チラリ」でデビューしたと思われがちですが、実はシングルより先にアルバムでメジャーデビューを果たしていました。*1

アルバムの中から、「EVERYDAY YEAH!片思い」をよみうりランド(後の恒例イベントとなる、9月10日は℃-uteの日)で歌う℃-ute

順風満帆と思われた矢先、オリジナルメンバーである村上愛ちゃんが10月31日に脱退したことが発表され、再び7人体制となりました。年末の紅白には、先輩グループのバックダンサーとして紅白歌合戦に出場しています。

念願のメジャーデビュー

2007年2月21日、「桜チラリ」で念願のメジャーデビューを果たしました。

メジャーデビューを機に、様々な音楽番組に出演。「うたばん」に出演して石橋貴明さんや中居正広さんにイジられていたのも、今となっては懐かしい思い出です。その後、秋にリリースされた「都会っ子 純情」では激しいダンスパフォーマンスが話題に。現在の℃-uteのダンスパフォーマンスの基を築き上げました。

年末には、デビューして間もない年齢層の低いグループながらもパフォーマンス力が評価され、日本レコード大賞の最優秀新人賞や、ベストヒット歌謡祭の新人賞、日本有線大賞の有線音楽賞などを受賞しました。日本レコード大賞では生放送だったため、一度楽屋に戻ったあとに受賞が発表され、楽屋から中継されたことがファンの間では有名なエピソードですね。

相次ぐ脱退、窮地からの立て直し

その後、パフォーマンス力も日に日に向上し、順調に活動を続けていたものの、2009年に有原栞菜ちゃんの脱退、梅田えりかちゃんの卒業などが相次ぎ、℃-uteは窮地に立たされます。翌年に発表された「SHOCK!」では、比較的平等だったそれまでとは打って変わった鈴木愛理ちゃんのワントップ体制のフォーメーションと歌割りにファンが騒然とするなど、色々な意味で話題に。愛理ちゃんがメインボーカルを務め、バックのメンバーにはほとんどパートは与えられず、「チャー」というコーラスを担当していたことから、「チャー隊」と名づけられるなど、当時の状況は混沌としていました。

この時の通称「SHOCK!事件」はメンバーの間にも深い傷痕を残し、特に鈴木愛理ちゃんははっきりと「嫌だった」と言っています。ファンからも批判が続出し、ワントップ体制は後にも先にもこの1作だけとなりました。

アイドルが憧れるアイドルへと成長した、5人の℃-ute

しばらく迷走を続けていた℃-uteでしたが、2010年夏に転機が訪れます。「Danceでバコーン!」を、それまでは主にアイドルのファンが行うものであった「踊ってみた」をアイドル本人である岡井千聖ちゃんが「踊ってみた」動画を投稿したことをきっかけに注目が集まり、ネット上でプチブレイクの状態に。ニコニコ動画などでも話題になり、ヤフーの映像トピックスなどでも取り上げられました。

岡井ちゃんの踊ってみたをきっかけに、「Danceでバコーン!」のPVの再生回数も急上昇し、℃-uteの存在を知らなかった新規ファンが大きく流入。その波はしばらく続くことになります。

続く「会いたいロンリークリスマス」や「Kiss me 愛してる」なども岡井ちゃんの踊ってみた効果で上昇が続き、ネット上で一大人気を誇るように。このあたりから、若い女性ファンの流入が目立ち、℃-uteのファンを公言するアイドルも増えてきたような気がします。

2013年9月10日には、悲願であった日本武道館での公演を行うなど、ライブパフォーマンスを中心とした活動を精力的に行います。

2014年7月にリリースされた「悲しきヘブン」では、鈴木愛理ちゃんと岡井千聖ちゃんをリードボーカルに、それ以外のメンバーをバックダンサーに従えたパフォーマンスが話題になりました。この頃から、ますますメンバーのパフォーマンスに磨きがかかりはじめます。

以降、鈴木愛理ちゃんの「Ray」のモデル抜擢や、岡井千聖ちゃんのバラエティー進出など、個々の活動も目立ち始めたころに、グループの解散が発表されました。

窮地を何度も乗り越え、最後の最後までアイドルを貫いた5人

ラストシングル「To Tomorrow/ファイナルスコール/The Curtrain Rises」の「ファイナルスコール」のPVでは、℃-uteの代名詞であった雨女・矢島舞美ちゃんがもたらす大雨を象徴したかのような、雨に降られながらも歌い踊る℃-uteのメンバーが映っています。

このPVの大雨のように、正直、℃-uteは不遇だと思う場面が何度かあったし、これからどうなってしまうんだろうと不安なこともあったと思います。それでも、8人、7人、5人と、それぞれの時代を乗り越えて、12年もグループを続けてこられたのは凄いことだと思います。ハロプロキッズ決定から15年、まさかこんなに長い間、ハロプロキッズのメンバーの成長が見られるとは思っていませんでした。

12周年のラストに、さいたまスーパーアリーナという単独公演の夢を叶えた℃-ute。これから℃-uteとしての活動はなくなっても、メンバーやファンの記憶には、永遠に℃-uteの歴史が残り続けるだろうと思います。これからは、メンバーにとってそれぞれの人生を送り続けてほしいと思います。

℃-uteの皆さん、12年間、本当にお疲れさまでした。

サヨナラ ただその言葉
かき消すように 降り続けて
寂しさ 掻き立てるような ファイナルスコール

℃-ute ファイナルスコール 歌詞 

To Tomorrow/ファイナルスコール/The Curtain Rises(初回生産限定盤B)(DVD付)

To Tomorrow/ファイナルスコール/The Curtain Rises(初回生産限定盤B)(DVD付)

*1:もっと言うと、アルバムより先にDVDでメジャーデビューしていました。